ごあいさつ
洋菓子には“人々を笑顔にさせる力がある“と信じてモンブランが歩んできたほんの一部では御座いますが、パティシエやパティシエール、全スタッフの細かな心遣いを感じて頂けますと幸いで御座います。
店内に飾られる焼き菓子や生菓子はひとつひとつ丁寧に粉から練り合わせて焼き上げ、パティシエやパティシエールたちの複数人の手に渡り仕上がります。
たくさんのお客様へ向けた商品であっても、大切なたったひとりの方へ向ける思いでひとつひとつ心を込めて作るのがモンブランの洋菓子で御座います。
モンブランを訪れる理由は皆様違いますが、心を込めて作る洋菓子に変わりは御座いません。 ラッピングひとつにしても、リボンの色やラッピングの仕方にこだわって手を施しております。 少しお待たせをしてしまう場面もあるかと思いますが、そんな時は是非店内に飾られている東郷青児氏の絵画やモンブランの洋菓子をご覧いただき、パティシエやパティシエールたちの心遣いを感じて頂けますと幸いに存じます。
モンブランに足を運んで頂く全てのお客様へ“笑顔“を届けて本日も営業してまいります。
当店のあゆみ
- 1933年3月
- 東京都目黒区三谷町五十三番地にモンブラン開店
- 1945年6月
- 強制疎開にてモンブラン閉店
- 1945年10月
- 東京都目黒区自由ヶ丘一丁目二十九番地三号にモンブランを開店
- 1947年12月
- 株式会社モンブラン
- 1950年~1951年
- 日本洋菓子界の先駆者スイス人エスワイル氏を日本に招待
- 1952年1月
- 日本洋菓子協会創設委員(迫田千万億氏)
- 1952年4月
- 日本洋菓子技術協会常任理事(迫田千万億氏)
- 1952年5月~1961年5月
- 東京都洋菓子組合理事(迫田千万億氏)
- 1957年4月~1966年5月
- 日本洋菓子協会を社団法人日本洋菓子教会と改組。理事就任(迫田千万億氏)
- 1961年6月~1968年5月
- 協同組合全日本洋菓子工業会設立に際し副理事長に就任(迫田千万億氏)
- 1962年
- スイスの洋菓子協会の会長アイヒンベルガー氏とスイスの最高技術者、迫田千万億氏と定男氏によりティーコンフェクトを共同制作
カゼル・グラズール・スリーズ・ハルリン・ショック・ショコラ
モンブラン発祥の歴史
今では日本全国のショーケースに並ぶ〝モンブラン〟。
その歴史は、自由が丘モンブラン創業者の迫田千万億が神父と共に訪れた フランス・シャモニー(France・Chamonix)で名峰モンブラン(Mont-Blanc)を目の当たりにし、その美しい姿に感銘を受けたところから始まります。
洋菓子職人であった迫田は、「この美しい名前の名を冠した店をやりたい」と考え、その足でモンブランの登山口の麓町にあったホテル・モンブランの支配人とシャモニー市長へ直談判し、その許可を得て帰国しました。
そして店の開業にあたり、看板商品を作ろうと試行錯誤を始めました。
当時のヨーロッパには中世から貴族の方々が食されていた皿盛りデザートとして、栗を使ったモンブランという名のデザートがありました。※諸説あり
迫田は日本人が喜んでくれるような持ち帰りができるモンブランは作れないだろうかと考えました。未だ日本に洋菓子が普及していなかった時代、お砂糖も貴重だった戦前に作り上げるモンブランには迫田の多くの知恵が込められています。
当時から貴重で高価であった栗は、お正月のめでたい時に食べられる栗の甘露煮が日本人に馴染みがあり、迫田はこれを使ったケーキにしようと考えつきます。この栗の甘露煮から作られるマロンクリームで山の岩肌を表現しました。当店のマロンクリームが黄色の理由はここにあります。
また、土台の生地にはカステラをベースとした、しっとりふんわりとした生地を採用しました。当時の日本には、パサパサしているものや硬い生地が多い中で、日本人に親しまれる柔らかくてしっとりとした食感の実現には多くの苦労がありました。こういった経緯から当店では「スポンジ」ではなく「カステラ」という表現をしています。
最後に乗せるメレンゲで、迫田の心を打った名峰・モンブランに降り積もった万年雪を表現し完成させました。
こうして完成までのさまざまな試行錯誤を経て今から91年前に当店から日本初のモンブランが誕生しました。
当時、屋号としては商標登録をしましたが、ケーキとしてのモンブランには敢えて商標登録をしませんでした。それは日本の洋菓子業界が広く発展することを願っていたからです。
迫田は日本各地から修行に来た職人たちにもその作り方やレシピを広く教え、その技術や文化の発展に尽力しました。その結果、今日では多くのモンブランが日本全国でショーケースに並び、たくさんの方々から愛されるケーキとなりました。
当時の日本人の方々には珍しい甘い洋菓子に夢を感じ、ひとたび口に頬張れば幸せなひと時を過ごされていた事は言うまでもありません。
私たちは今もなお、当時の想いとレシピを守り続け、時代に合わせながら大切に作り続けています。
これからも洋菓子を通して笑顔の輪がどこまでも広がっていくことを願って。
東郷青児画伯との出会い
自由が丘モンブラン創業者の迫田千万億は、後に日本を代表する画家・東郷青児画伯と東京で出会いました。
二人は鹿児島県出身という共通点から親交を深め、東郷青児画伯がまだ無名だった頃から家族ぐるみでお付き合いをしていました。
そんな中、迫田が包装紙を描いてみないか?という話を持ちかけました。
洋菓子を通じて人に夢を与えるという理念の迫田と東郷青児画伯の想いや画風が合致し、いよいよ制作が始まりました。
店のことや未来のことなど、二人は幾度も幾度も話し合いを重ねていきました。そうして出来上がったのが、現在でも包装紙に採用されている〝美人画〟です。
華やかな洋菓子のイメージに合う柔らかいタッチで描かれた美人画。これ以降、当店の包装紙やパッケージなどに幅広く採用し、モンブランを象徴するデザインとして共に歩んで参りました。
そして今日では、大切な方への贈り物に華を添えるモンブランの洋菓子に東郷青児画伯の絵は欠かせないものとなりました。
また店内に飾られる東郷青児画伯の絵は全て原画であり、よく見ると筆のタッチが感じられるかと思います。
美しい絵を一目見ようと、多くのお客様に足を運んでいただいております。
東郷青児画伯との出会いやご縁を大切に歩んできたように、これからも人とのご縁を大切に洋菓子を通して多くの方々に喜びや笑顔の輪を広げてまいりたいと思います。
「御縁」を大切に
当店の内装は創業者と親交の深かった東郷青児氏の絵画の世界に飛び込んだような感覚を味わえるよう幻想的な色合いで統一されております。
創業当時からお客様との「御縁」を大切にしてきたという想いを込め、ショーケースを中心に円を描くよう回遊できる店舗デザインとなっております。
また、ガラス張りで広々とした空間を見渡すことが出来るようになっており、職人が心を込めてケーキを作っている様子を直接ご覧いただけます。
このような素敵な時間と空間を通してお客様に夢のようなひとときをお届けし、これからも多くの「御縁」を大切にしていきたいと思っております。
※こちらの店舗のデザインは2023年IDPA日本国際パイオニアデザイン賞金賞を受賞いたしました。
この賞は世界各国の最先端の文化やデザインコンセプトを理解すると同時に、文化的・創造的な産業のグローバルな発展を促進させることを目的としたアワードです。